『夜と霧』とは
『夜と霧』は、オーストリア出身のユダヤ人精神科医ヴィクトール・E・フランクル(Viktor E. Frankl)が自身の強制収容所体験を綴ったノンフィクションである。
池田香代子(1948-)による2002年発行の新訳と、霜山徳爾(1919-2009)による1956年発行の旧訳がある。
霜山徳爾は臨床心理学者であり、ドイツ・ボン大学への留学経験がある。留学時にフランクルが著した『或る心理学者の強制収容所体験』と出会ったという。これを翻訳したのが『夜と霧』である。
池田香代子はドイツ文学翻訳家である。
新訳版『夜と霧』から引用しつつ内容紹介
池田香代子による新訳版の『夜と霧』から、本ブログ執筆者の心に響いた箇所を引用しながら、内容を紹介していく。
導入部
本書の導入部で、次のような強制収容所経験者の言葉が紹介される。
「当事者たちがよくこう言うのを耳にする。『経験など語りたくない。収容所にいた人には説明するまでもないし、収容所にいたことのない人には、わかってもらえるように話すなど、とうてい無理だからだ。わたしたちがどんな気持ちでいたのかも、今どんな気持ちでいるのかも』」(p. 8)
このように、収容所体験は、当事者にとってはあまりに「近すぎる」体験である一方、非当事者にとっては想像も及ばない「遠すぎる」体験である。
第1章
第1章は、収容所に収容されたばかりの時期の経験に関する記述である。
「今や(毛髪もない)この裸の体以外、まさになにひとつ持っていない。文字どおり裸の存在以外のなにものも所有していないのだ。これまでの人生との目に見える絆など、まだ残っているだろうか。」(p. 23)
被収容者は収容の段階ですべてを剥ぎ取られ、裸の存在となった。
第2章
親衛隊の監視兵は、被収容者を作業中や整列中に理由もなく殴った。しかし、殴られた痛み自体は大したことではないという。
「殴られる肉体的苦痛は、わたしたちおとなの囚人だけでなく、懲罰をうけた子供にとってすら深刻ではない。心の痛み、つまり不正や不条理への憤怒に、殴られた瞬間、人はとことん苦しむのだ。」(p. 38)
すなわち、収容所生活は、一人の人間としての尊厳が徹底的に破壊されていく過程であったのだろう。
しかし、自身の内面が豊かだった人は、収容所の困難な状況を耐え忍ぶことができた。
「もともと精神的な生活をいとなんでいた感受性の強い人びとが、その感じやすさとはうらはらに、収容所生活という困難な外的状況に苦しみながらも、精神にそれほどダメージを受けないことがままあったのだ。そうした人びとには、おぞましい世界から遠ざかり、精神の自由の国、豊かな内面へと立ちもどる道が開けていた。」(p.58)
大切な人への深い愛や、自身の苦しみにさえ意味を見出だせる人生観を持つ人は、このように、「困難な外的状況」に飲み込まれることを免れた。収容所生活における、豊かな精神性は本書の大きなテーマの一つである。
収容所生活では意外なことに、自然や芸術、ユーモアを楽しむこともあった。たとえば、歌が得意な仲間には次のようなエピソードがある。
「ひとりの仲間が樽の上に立ち、イタリアオペラのマリアを歌った。わたしたちは音楽を楽しみ、その仲間はスープを二人前、奮発された。しかも『底のほうから』、つまり豆が入ったやつを」(p. 68)
食事のとき、厨房係の被収容者がスープを取り分けるのだが、どの厨房係の列に並ばされるかが筆者にとって一つの関心事であった。たとえば、厨房係のFの列に並ぶよう指示されたとき、筆者は心からうれしいと思った。なぜかというと……
「Fは、皿をさしだす者の顔を見ない、たったひとりの厨房係だった。スープを文字どおり『人を見ないで』公平に分け、個人的なつきあいのある者や同郷の者をえこひいきして、鍋の底のほうからじゃがいもをすくってやり、そのいっぽうでほかの者たちにはしゃびしゃびの水のようなスープを『上から』すくわない、たったひとりの厨房係だったのだ……。」(p. 78)
第2章の後半からは、収容所生活中の精神の自由に焦点が向かう。
「強制収容所にいたことのある者なら、点呼場や居住棟のあいだで、通りすがりに思いやりのある言葉をかけ、なけなしのパンを譲っていた人びとについて、いくらでも語れるのではないだろうか。そんな人は、たとえほんのひと握りだったにせよ、人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない、実際にそのような例はあったということを証明するには充分だ。」(p.110)
人間としての最後の自由、すなわち精神の自由を保ち続けることは可能だったという。
「最後の瞬間までだれも奪うことのできない人間の精神的自由は、彼が最後の息をひきとるまで、その生を意味深いものにした。」(p. 112)
収容所生活では大きな仕事を達成したり、芸術を味わったりすることはできなかったわけであるが、一部の人には生の意味を見出すことができた。
「勇敢で、プライドを保ち、無私の精神をもちつづけたか、あるいは熾烈をきわめた保身のための戦いのなかに人間性を忘れ、あの比収容所の心理を地で行く群れの一匹となりはてたか、苦渋にみちた状況ときびしい運命がもたらした、おのれの真価を発揮する機会を生かしたか、あるいは生かさなかったか。そして『苦悩に値』したか、しなかったか。」(p.114)
極限状態の中でプライドを保つことはいかに困難だったことか。それは想像を絶する努力だっただろう。
ある夜、フランクルは、精神科医として大勢の被収容者に向かって、先行きの希望や生きる意味について説いた。
「わたしは詩人の言葉を引用した。『あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない』」(p. 138)
過去の豊かな日々は、確実にある。それは心の支えになるものである。
そして、生きることに意味を見出すこと、「犠牲としてのわたしたち」について語った。
しかし、フランクルには次のような悔いがあったという。
「この夜のように、苦しみをともにする仲間の心の奥底に触れようとふるい立つだけの精神力をもてたのはごくまれなことで、こうした機会はいくらでもあったのにそれを利用しなかったことを、わたしはここで告白しなければならない。」(p. 140)
第2章は次のように締めくくられる。
「人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ。」(p. 145)
第3章
第3章は、収容所から解放された後の心理変化についてである。
収容所から解放されて数日経って、広い野原を歩いていたときようやく自由を実感して、頭の中に次の一節が繰り返し響いた。
「『この狭きよりわれ主を呼べり、主は自由なるひろがりのなか、われに答へたまへり』」(p. 151)
反抗としての「精神の自由」
フランクルは、本書の中で繰り返し「精神の自由」は人間にとって最後に残される自由と述べた。「精神の自由」を保つことは、強制収容に対する反抗になるという見解は本書のなかで述べられていないが、一種の反抗になると見ることもできる。
強制収容で気ぐるみ剥がし、様々な暴力をふるい、劣悪な環境で生活させたとしても、奪うことのできない精神的自由があることを言動で示すことができる。その事実を権力者に突きつけることは、権力者が人びとの精神に立ち入ることができない事例を示すという点において、最大限の反抗となる。
書籍情報
- Viktor E Frankl "Man's Search For Meaning" (2021)