新しい概念を学ぶのはしばしば大変なことであり,その概念を自分のものにするためには一定時間辛抱してその概念を使う訓練をしなければならない.その代表例が数学で新しいことを学ぶときである.そのようなタイプの取り組みは時として苦痛を伴う.そんな苦痛を予期してそのような苦しみを味わうならそれを学ぶのをやめるという選択をすることがある.これは一種の合理的無知である.ある概念を学ぶのに要する時間的コスト,金銭的コストなどと,その概念を学んだことで得られる利益を天秤にかけるとする.そのときコストのほうが大きいならそれを学ばず無知でいるという選択が合理的無知である.
学問の世界で新しい概念を習得するのはしばしば茨の道である.しかし,高みを目指すなら一歩を踏み出したい.学びのコストと学びの利益を天秤にかけて合理的に学ぶか学ばないか選ぶというのは学問において実施可能なのだろうか.学びの利益を学ぶ前に判断することは可能なのだろうか.学びは本質的に冒険であって,冒険の果に何が待っているかは自分で確かめるしかない.無知でいることを決めたときただ茨の道を避けただけなのではないだろうか.人生は冒険や.若い時に自分を大きくしたい.