ここ数ヶ月囲碁にはまっている.囲碁との出会いは確か小学生のことである.図書館で囲碁の本を借りてきて碁盤に石を並べて遊んでいた.対戦する相手がいなかったので遊ぶのはもっぱら一人でだった.そこから長い長いブランクを経て現在,スマホアプリの囲碁クエストで対人対戦している.
囲碁に再ハマりするきっかけとなったのはジョシュ・カイフマンの『たいていのことは20時間で習得できる』を読んだことである.この本の中で碁が取り上げられて,20時間で碁の対局を楽しめるレベルになるまで上達する方法が記されていた.この本を読み,自分が昔囲碁が好きだったと思い出し再び囲碁を始めた.
最初は9路盤から始めた.その当時は13路盤でさえ広すぎると感じていた.しかし最近になって13路盤に挑戦してみるとこちらに慣れてきて今度は逆に9路盤が狭いと感じるようになった.また,布石や詰碁の勉強もしてある程度の実力まで上げることを目標にしている.入りやすい囲碁コミュニティがどこかにあれば入ってみたい気持ちもある.
囲碁の魅力はなんといってもそのルールの単純さである.将棋やチェスでは駒の種類に応じて動きが異なるが,囲碁ではどの石も同じ働きをする.その意味でルールに恣意性が少なくルールが美しい.
囲碁の魅力は他にもある.囲碁において石を置ける場所は離散的であり置ける場所の数は有限であり,手番は交互であり,勝敗は明確に定まり,さらに他にもルールがあるにも関わらず囲碁の局面の進行の場合の数は膨大すぎて計算しきれないのである.ルールが明確に定まり石を置ける場所の数が有限である囲碁ですら計算しきれないのだから,私達が生きるこの世界を計算するのはさらに大変な営みであると分かる.この世界の事象の数は数え切れずそもそも事象の切り分け方すら一意ではない.またプレイヤーの行動は入り乱れ,ルールはない.ただ,囲碁の世界において計算しきれない中で好手と思われる手を指す営みは,複雑なこの現実世界を生きる上でその場その場で最善と思われる行動をし続けることとアナロジーを感じる.
シンプルなルールで得体の知れない,計算し尽くせない深淵を生み出してしまう囲碁とその深淵に引きずりこまれそうな私の今日この頃である.