恒星間ボトルメール

Interstellar Message in a Bottle

人体は数学の言葉で書かれている?

 今手元にウィーナーが著した『サイバネティクス』がある。サイバネティクスとはウィーナーが立ち上げた学際研究であり、通信と制御の知見を活用して人間と機械を共通の枠組みで捉えることを目標としている。『サイバネティクス』は創始者本人がその学問がどのようなものであるかを解説した本である。サイバネティクスでは制御工学や通信工学の理論を用いて人間と機械を同じように考察したいわけであるが、その理論には数式が多く登場する。偉大な先人が宇宙は数学の言葉で書かれていると言っているが同様に人体は数学の言葉で書かれているのだろうか?

 サイバネティクスに限らず、現実世界の何かを数学の何らかの枠組みで捉えようとするなら現実世界がもつ特徴の一部を理想化して数式を上手く当てはめられるように何らかの仮定を用意することになるだろう。例えば、バクテリアの増殖の様子を微分方程式で記述する場合、個体の増殖速度は個体数に比例するという仮定を立てる。この仮定は合理的であるが、現実世界をそのまま記述できているわけではない。しかし、この仮定をもとに立てた微分方程式を解くと現実のバクテリアの増殖の様子をおおむね記述する式を得られる。その意味で当初の仮定は妥当であると言えよう。

 現実の人体から扱いづらい特徴を除いて都合のよい仮定を付け加えることによってできた理想的な人体モデルにおいては数学の知見を活用して考察を深めることができる。これが「人体は数学の言葉で書かれている」の解釈の一案である。つまり、「数学の言葉で書かれている」というのは「数学の言葉で語れるものは数学の言葉で語れる」というあたりに過ぎないのかもしれない。