人類史に名を残す天才は幾人もいる。自然科学系に限って言えばコペルニクスやニュートンを挙げることができよう。天才は天才的な仕事を成し遂げたゆえに天才と呼ばれるわけであるが、彼らとてこの世界のありとあらゆる問いを解決したわけではない。果たして、人類史上最高の一人の天才が諸問題を抜本的に解決することは原理的に可能なのだろうか。
一つの疑問が解決するといくつもの疑問が新たに生じるとよく言われる。そう考えると、人類史上最高の天才が超人的なペースで問いを解決していってもそれを上回るペースで新しい問いが生じるのですべての問いに答えを出す前に彼の寿命が尽きてしまう。ここで、新たな問いが生まれていくペースをさらに上回るペースで答えを与えていくことで最終的にすべての問いの答えを導いてしまうようなより高次の知性を考えることも可能かもしれないが。
仮に人類史上最高の天才が自身の寿命までにすべての問題を解決できないとしても、凡人たちのために自身亡き後に行うべき作業の工程表を与えることはできないだろうか。その工程表を見れば一切の知的閃きを必要とせず作業を行い続けることで次々と問いに答えていけるような工程表を。もしかしたら、工程表と作業の担い手はプログラムと人工知能である可能性もあろう。
あるいは天才が見つけるであろう真理というのは今まで述べてきたものとは別種のものなのかもしれない。人類の知的営みは本質的に行き当たりばったりであって幾人もの天才の仕事の継ぎ接ぎなのであるかもしれない。そう考えれば、今までのどの歴史上の天才もすべての問題に答えを与えたわけではないことが説明できる。
真理は究極的には一つであり一天才がそれを見つけておしまいとなる世界よりも、各人が唱える真理を重ね合わせてよりよい考え方を探し続ける世界のほうが豊かであるかもしれない。コナン君ごめんね。